続・お人形の不思議な話

以前、私が幼い頃にもらった古いお人形が実は‥という記事を書いたところ、そのお人形の持ち主であったA子さんがこのブログを読んでメールをくださいました。


懐かしいお人形ちゃんのこと、Imayaちゃんが生まれた当時のことまで記憶によみがえってきました。

あれは、Imayaちゃんのお母さんが退院なさってそんな経たない、5月の若葉の美しい朝だったと思います。

私はImayaちゃんのお母さんが大好きなんで、3人目の女の子が生まれた嬉しさをわけてもらいたくて

私にとって大事なものを(買ったものでなく、自分の持ってるものを)プレゼントしたかったのです。

それが、(多分)金子光晴の詩集と人形のデンマークちゃん(名前はなかった)でした。

上のお二人も、いわさきちひろの絵から抜け出してきたみたいな可愛いおじょうちゃんでしたがImayaちゃんもほんとに可愛かった。

人形のことは、ほんとに不思議。

父がヨーロッパに行ったのは私が小学校低学年のころだったと思います。

でも、パリやロンドンはわかるけど(父は当時銀行員)、コペンハーゲンはどうして行ったのかな?チボリに行った話を聞いたように思います。

なんかステキなところなんだな、と憧れた記憶があります。

デンマークうまれの彼女がデンマークと深い縁のあるImayaちゃんのところにいくなんてね。

そのもう少し前、小学校1年生のときにサンタさんから人形をもらいました。

それは陶器でできてて、(それまでは、ざぶとんを二つに折ってよく背負ってた)

うれしくて外にもっていったのですが、コンクリートの地面に落として割ってしまったのです。

私はひどくおとなしい子だったようなのですが、その時は近所中にひびく大声で泣いたことを

今でも覚えています。

そのことで、父の頭には土産は割れない(?)人形という頭があったのかも。

開店したお店に、連れて行っていただいてありがとう。

古びた人形だけど大事にしてもらって父もお人形も本望だと思うよ。


私はいつも、ドラえもんのしずかちゃんを見るとA子さんを思い出すのですが、A子さんは東京育ちのとても上品で素敵な方です。そんな方が書くと、まるで児童文学のお話のように聞こえるとても嬉しいお便りでした。

ちょっと笑ってしまったのが、お人形をもらう前は、「ざぶとんを二つに折って背負っていた」というところ。以前母も同じことを言っていて、ものが溢れている時代に育った私にはとても斬新で、おかしいようなうらやましいような気持ちになりました。そんな時代に、ざぶとんや割れてしまった陶器の後にやってきたお人形は、さぞ大事にされたのだと思います。

そしてその数十年後、A子さんや私をデンマークに連れてってくれるほどのたっぷりの愛情をもらったのかもしれません。(ちゃっかり私も便乗していますが、私はあまり触るなと言われていたし、一緒に寝たりはしていませんので大方A子さんの愛情です)

(写真:A子さんと乗ったコペンハーゲンの観光ボート)

 

古いものに囲まれて育った方だとは思いますが、自分でこういう物を扱うようになってから初めて、物が持つ不思議に興味が湧いてきました。

例えば、可愛いー!と言って大事にして、「送り出すのは寂しいけど、大事にされてね!」という気持ちで発送された商品は、お客さんからもとても喜ばれて、私も嬉しい気持ちになります。

一方で自分があんまり好きじゃないけど、ある程度人気だろうという気持ちで仕入れ、早く売れないかなーと思いながら所有し、売れたら「やったーバイバイ!」という気持ちで送りだしたものは、途中で何かミスやトラブルがあったりして、結果としてあまり喜んでいただけなかったりします。この夏にそういうことがあって、その時にふと、

「これ、あんまり好きじゃないから早く売れてくれないかなー」

とその食器を見て言っていた自分の姿を思い出しました。

商売なので、綺麗事や神秘的なことだけ言っていられませんが、ものを扱う以上、気持ちはどこかに出てしまうので、それからは自分が本当に好きなものだけを購入して、喜んで他の方にも購入してもらうことを心がけるようにしています。

日本では、西洋のような「一つの万能の神」ではなく、山や海や家や畑や人や小さな物一つ一つにも宿る「八百万の神」を信じていたという話を聞いたことがありますが、「どんなものにも神が宿る」という気持ちはすごく素敵で、日本人の誇りだなと思うので、心に留めておきたいと思います。

長くなりましたが、この先もこの仕事を続けていって、どういう発見があるのかまだまだ楽しみです。

 

 

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